私は2002年秋に、長年お世話になりましたTONY先生・古倖先生の元を離れ、RB-SOULダンススクールを立ち上げさせて頂き、同時にフリーのインストラクターとして様々なカルチャンーセンター・スポーツクラブにて活動を始めさせて頂きました。
ダンスを始めた年齢が遅かったため、まさかダンスの指導者になるとは夢にも思わなかったことですが、現在私が多くのレッスンを担当させて頂けることになりましたのは、ダンスとの出会いがトニーティーダンスであり、インターロックであったからと思います。
先ず自分にとってダンスとの出会いがインターロックでなかったら、ここまでダンスを続けられはせず、早々に諦めていたと思います。
インターロックを通して体幹の使い方を学び、曲にノッて踊ることを知り、ダンスを楽しむことができました。
パッと見てわからない、どうやって動いているのか、踊っているのか...手も足もでない状況を、インターロックにて学んだ体幹の使い方、理論を通して学んだ身体の使い方から、動きを見抜いて動き、曲にノッて踊る、ということができるようになりました。
体幹を使って曲にノッて踊る、手足だけに頼らず、首胸腰のどこかに意識を集中して曲を聞く...自由に慣ってきます。
また指導者として、動きを説明するとき、「なんでみんなと動きが違うんだろう」となおしてあげるとき、レッスン前半で行なったインターロックの動きを用いて説明することができ、分析してなおしてあげることができます。そして、聞く側にもわかりやすく伝えることができます。
ダンスの指導者として最大の武器です。
そしてダンスを通して得られることは数限りなくあります。
華やかなステージ上で踊る喜び、感動はもちろんのこと、作品を仕上げるにあたっての仲間との協調性、自分の役割を果たすという責任感、仲間を引っ張っていくためのリーダーシップなどなど...また観てくださる方々からの感動と喜びのお話。
ダンスの仲間、そしてRB-SOULのメンバー他大勢の方々と、共にこの喜びを共有することができました。
また初めて参加させて頂きました「国際パルスリズムトレーナーサミット」にて、目の見えない方々がダンスを楽しまれて踊られているというお話を協会員の方の発表で伺いました。
「ダンスってすごい...」とても感動しました。日常の生活では知り得ないことでした。深くダンスに関わってみたいと自分が踊るという以外の部分で思った瞬間でした。
いま毎年、年に何回か様々な老人病院にダンスを子どもたちが踊りに行かせて頂いています。
華やかな衣装を着て、子ども達が元気な笑顔で身体を思い切りつかって踊る姿に、たくさんの喜びの声を頂きます。
まだまだ先のことですが、もっともっと勉強してダンスを通して何か自分のできることを探していきたいと思っています。
私は、短大卒業後、普通のOLの仕事に就いていました。
就業後のスポーツクラブが日課になり、そこで初めてダンスとの出会いがありました。
ただ普通の会員に過ぎない毎日、そしてダンスの比重が段々多くなり、どうしたらもっとダンスが習えるか?どうしたら上手くなるか?と、こんな気持ちがわいてきたのは23歳の頃でした。
まだまだ、ヒップホップというものがこんなに世の中に普及されてない頃でしたので、当時はエアロビクスの資格を取ったら、インストラクターの方とも近づけて、ダンスの時間もとれるのでは・・・?と考え、エアロビクスのインストラクター養成所に入り、資格を取りました。
資格取得後、エアロビクスの仕事を入れつつある時、先輩のインストラクターの方から、こんな資格があるようだけど取ってみては?と、声をかけていただいたのが、「インターロック」との出会いでした。
私の出身は愛知県です。まだ、名古屋に今よりもダンススタジオが普及されていない頃でしたし、インターロックを教えてくれるスタジオも知りませんでした。
「インターロック?」分からないままに参加した資格取得講習会でしたが、何かが変わるような可能性を感じ、そこからは怒涛のように日々は過ぎ、ダンスダンスダンスの毎日で今に至ります。
インターロックと出会いが、本物に近づく為のダンスの始まりです。
インターロックは、ジャズもヒップホップもすべてのダンスの基になるものだと私は思います。
ほとんどの資格は、資格取得するまでが大変だと思いますが、インターロックは、やればやるほど奥が深く、また次への課題も分かるようになり、それがダンスにおいて、技術の向上や人間的にも進歩できるのではないかと感じています。
インターロックの資格から道が開け、LA3ヶ月プロ養成コースやトニーティーエンターテイメントアカデミーLA校留学やアメリカでのコンペティション参加などにより実践的に経験することも重ね、愛知県で広範囲において各種ダンス指導ができるようになりました。
上京してダンス指導の研修・経験を経て、3年前、独立して中目黒にスタジオを開くことができました。
ただのスポーツクラブ会員だった頃、“上手くなりたいけどなれない”、“格好良く踊りたいけど踊れない”と、考えていた頃から考えると生活は一変しました。
それは、インターロックに出会ったことが引き金になり、また支えてくれた家族や友達や周りの環境に恵まれたからだと思います。
今みたいに小さい頃からダンスができる環境ではなくとも、現実、こうしてダンスと触れ合い、素敵な生徒と共に日々ダンスをできる生活を手に入れることができました。
OLからの大変身です。
まだまだ、自分自身上手くなりたいし、生徒も育てたいし、日々、手探りな状況ですが、これからも習うこと・見ること・教えること・踊ること、いろんなことにアンテナをはり、頑張りたいです。
私は大学卒業後、トニーティーエンターテイメントアカデミーダンサー科に入学、在学中にパルスリズムトレーナーの資格を頂きました。
大学に入るまではダンスに触れることもなかったのですが、大学在学中に踊っているダンサーを見て自分もやってみたい、という興味からダンスを始めました。当時ダンスは趣味の段階で、将来は大学院に進み水質汚染の研究をする職業を持ちたいと思っていました。
しかしダンスを続けていくうちに卒業研究よりダンスの方に比重が大きくなり、もっと上手くなりたいと思う気持ちが強くなりました。卒業後の進路に迷っている時、アカデミー卒業生の皆さんのダンスを拝見して自分も人を感動させるダンサーになりたいと思い、アカデミーに入学することを決めました。
卒業後の今はクラスを受け持たせて頂き、ダンスを教えるお仕事でお給料を頂いております。私はダンスを始めて年数や実績、経験がないにも関わらず、インターロックというメソッドを武器に、人にダンスを指導するという職業を持つことができ、大変恵まれた環境だと思います。
またダンスだけではありませんが、人に何かを指導するということはとても責任のあることだと思います。人の人生を左右しますし、ダンスに対する気持ちも指導者次第だと思っております。
私は指導者としても、またダンサーとしてもまだまだ未熟ですが、先生や先輩、仲間からいろいろなことを教えて頂き、これからも成長し続けて、生徒も成長していけるようにしたいです。
また私のダンスはインターロックから始まり、ダンスを続けることができ、今はそれで生きています。自分のダンスが成長出来たのはインターロックのお陰だとずっと思っていますので、生徒にも伝えていきたいです。
踊ることが楽しく、上手くなりたいと思って続けてきたダンスの道は簡単ではなく、厳しいことのほうが多いですが、それが人に感動を伝え、人に指導をする仕事だと感じています。