ひとつの技術を身につけ、その道を極めていくためには、例えどんな分野であれ、まず一貫した理念と哲学、系統だった技術体系、理論体系を学ばなくてはなりません。日本を始め、アメリカ以外の多くの国のダンスは文化的にも芸術的にもまたビジネス的にも今だ未成熟な世界であり、これを社会に認知させ、人間に不可欠な一領域として成就させていくことがトニーティーの使命であり、その為にはダンスの価値を心身ともに理解し、習得した若いエネルギーが必要とされます。
文化源流としてのダンスは「自己の解放」が主目的ですから、そこには芸術的な色合いやビジネス的な臭いは全くないでしょう。しかしながら、ダンスというものをもっと広範に、社会に必要なものとして捉えた場合、様々な領域で「ダンス」の可能性が示唆されてくるのです。例えば、ダンスの教育的意義、幼少時のリズムトレーニング、生涯教育としての効果、医療におけるリハビリテーション、身体障害児教育としての効果、マタニティへの効果、各種スポーツトレーニングとしてのダンスの導入、カウンセリングとしてのダンス、会社におけるレクリエーションとしてのダンス、そしてエンターテイメントとしての娯楽性、芸術性、等。私は日本でこれらの新領域を開拓し続け、今ではこの幅広いダンスの領域がトニーティーダンスの大きな特徴となってきました。
「自己の解放」というダンスの根源的な特質が社会の様々な領域の中で活かされ、一般に必要とされたときに、この世界は初めて芸術性を帯び、またビジネスとして大きな柱を形成していくのではないかと考えます。
トニーティーエンターテイメントアカデミーは文化源流としてのダンスからこういった将来的ビジョンに至るまで広い視野と柔軟な発想からダンスを捉え、新しい世界をクリエイトしていくことをスローガンとしています。
「ダンサーになりたい」
「素晴らしい先生になりたい」
「振付師になりたい」
人それぞれダンスに対する情熱と方向性は様々です。しかし、そうなるためにどうすればいいのか、またそうなった後にどうしていけばいいのか、そして世の中にどう貢献していけるのか、そこに対する思考力、応用力を身につけていくことが一本立ちしていくこれからの若者、ダンサーにとっては必要不可欠な能力なのです。
上手くなることは簡単です。トニーティーアカデミーではメソッドが確立されてますし、様々な現場も用意されてますから、いるだけでアッという間に上手くなります。その実績はいうまでもないでしょう。良い先生になること、それも難しくはありません。アカデミーにはそのためのノウハウは山ほどたくさんあります。しかし最も大切なことは、将来のビジョンを明確に打ち出し、世の中に適応出来る「ダンス家」という社会人になること、だろうと思うのです。どれだけ自分のダンスの世界を広げ、どれだけダンスというものをグローバルにとらえられるか。そして、世の中が何を欲しているのか、またどういう方向に自分が進んでいけばいいのかという判断力と決断力。私がアカデミーの学生に教えたいことは「ダンスを通した社会人の育成」、このことにつきるのです。これまた、トニーティーダンスの大きな特色であり、数多くあるダンス専門学校に比して当アカデミーの実績が卓越している所以ではないかと自負しております。
社会に出ると人は助けてはくれません。特にこの世界はそうです。みんながライバルですから、自分の信念、ダンスに対する考え方をしっかり持った者だけが勝ち残っていきます。一人でも多くのダンスを愛する若者が、次代の日本を背負って立って欲しい。ダンスを通して日本という国を豊かにして欲しい。そうするために、しっかりとした技術と精神力を身につけた「ダンス家」になって欲しい。そう願ってトニーティーエンターテイメントアカデミーを開校いたしました。アカデミーから日本のダンス、そして世界のダンスを背負って立つ人材が育っていくことを心より応援したいと思います。
トニーティー
文化源流としてのダンスは「自己の解放」が主目的ですから、そこには芸術的な色合いやビジネス的な臭いは全くないでしょう。しかしながら、ダンスというものをもっと広範に、社会に必要なものとして捉えた場合、様々な領域で「ダンス」の可能性が示唆されてくるのです。例えば、ダンスの教育的意義、幼少時のリズムトレーニング、生涯教育としての効果、医療におけるリハビリテーション、身体障害児教育としての効果、マタニティへの効果、各種スポーツトレーニングとしてのダンスの導入、カウンセリングとしてのダンス、会社におけるレクリエーションとしてのダンス、そしてエンターテイメントとしての娯楽性、芸術性、等。私は日本でこれらの新領域を開拓し続け、今ではこの幅広いダンスの領域がトニーティーダンスの大きな特徴となってきました。
「自己の解放」というダンスの根源的な特質が社会の様々な領域の中で活かされ、一般に必要とされたときに、この世界は初めて芸術性を帯び、またビジネスとして大きな柱を形成していくのではないかと考えます。
トニーティーエンターテイメントアカデミーは文化源流としてのダンスからこういった将来的ビジョンに至るまで広い視野と柔軟な発想からダンスを捉え、新しい世界をクリエイトしていくことをスローガンとしています。
「ダンサーになりたい」
「素晴らしい先生になりたい」
「振付師になりたい」
人それぞれダンスに対する情熱と方向性は様々です。しかし、そうなるためにどうすればいいのか、またそうなった後にどうしていけばいいのか、そして世の中にどう貢献していけるのか、そこに対する思考力、応用力を身につけていくことが一本立ちしていくこれからの若者、ダンサーにとっては必要不可欠な能力なのです。
上手くなることは簡単です。トニーティーアカデミーではメソッドが確立されてますし、様々な現場も用意されてますから、いるだけでアッという間に上手くなります。その実績はいうまでもないでしょう。良い先生になること、それも難しくはありません。アカデミーにはそのためのノウハウは山ほどたくさんあります。しかし最も大切なことは、将来のビジョンを明確に打ち出し、世の中に適応出来る「ダンス家」という社会人になること、だろうと思うのです。どれだけ自分のダンスの世界を広げ、どれだけダンスというものをグローバルにとらえられるか。そして、世の中が何を欲しているのか、またどういう方向に自分が進んでいけばいいのかという判断力と決断力。私がアカデミーの学生に教えたいことは「ダンスを通した社会人の育成」、このことにつきるのです。これまた、トニーティーダンスの大きな特色であり、数多くあるダンス専門学校に比して当アカデミーの実績が卓越している所以ではないかと自負しております。
社会に出ると人は助けてはくれません。特にこの世界はそうです。みんながライバルですから、自分の信念、ダンスに対する考え方をしっかり持った者だけが勝ち残っていきます。一人でも多くのダンスを愛する若者が、次代の日本を背負って立って欲しい。ダンスを通して日本という国を豊かにして欲しい。そうするために、しっかりとした技術と精神力を身につけた「ダンス家」になって欲しい。そう願ってトニーティーエンターテイメントアカデミーを開校いたしました。アカデミーから日本のダンス、そして世界のダンスを背負って立つ人材が育っていくことを心より応援したいと思います。
トニーティー
トニーティー・プロフィール
1957年、広島県出身。
70年代、ソウル・ディスコブームよりダンスを始める。81年、日本で初のブレイクダンスチーム「ファンキージャム」のリーダーとしてショー出演や後進の指導に当たる。
東京学芸大学大学院修了後、85年渡米。ロサンゼルスプロダンサー養成スタジオ「デュプリーダンスアカデミー」のスカラーシップ(奨学生)となり、バレエ・ジャズ・タップを学ぶ。マイケルジャクソン、マドンナ等の振付師、ビンセントパターソンのアシスタントを経てオリジナルダンススタイルを確立。89年、「フランス革命200年祭」にアメリカ代表として出演・振付。ダイアナロス、マイケル、マドンナ等数多くの映画、TV、ビデオ、ステージ等の振付、出演を重ね、91年、ロサンゼルスに「TONY TEE DANCE STUDIO」を開設。
92年、モダンダンス界の巨匠、トワイラサープの依頼によりカンパニーメンバーにTONY TEEファンクを教授。ダンス界の地位向上と人種を越えた相互理解を目指し「World Peace Through Dance」をテーマに日本全国縦断ダンスワークショップをスタート。延べ5万人の受講者を動員。94年、ハウトゥビデオ「TONY TEE DANCE ON THE BEAT」(日本コロンビア)全4巻をリリース、インターロックが日本全国に普及。95年、ソロダンスパフォーマンスライブ(渋谷公会堂)で2,000人を熱狂させる。96年、東京・大阪・京都にスタジオを開設。国際パルスリズムトレーナー協会発足。ロサンゼルスにて「プロダンサー養成コース」スタート。97年、TONY TEEカンパニーロサンゼルス公演。ISDC(インターナショナル・ストリートダンス・チャンピオンシップ)主催。99年、「黒人リズム感の秘密」出版。TONY TEE DANCE PROJECTS INC. USA設立。99年、2001年とフランス政府招聘によりカンパニー公演。2000年、世界のダンスの中心とすべくトニーティーエンターテイメントアカデミーを開校。2002年アカデミー日本校開校。「教員の為のダンスマニュアル」DVD・ビデオ及びテキストを出版。2003年、Hospital Interpersonal Service(HIS)にてマタニティーインターロック発表、マタニティーインターロック協会設立、資格制度開始。2004年トニーティーカンパニーがニューヨークブロードウェイの「ヒップホップ・レジェンド」1ヶ月間の出演、ブロードウェイで初めて日本人ダンサーをキャスティングさせる門を開く。全米規模のダンスコンペティションで数多くの優勝者を輩出。2005年ダンスDVD「ヒップホップエイジキッズ編・ティーン編」リリース、エッセイ集「ダンスの魂」(文芸社)出版。
広島大学教育学部卒、東京学芸大学大学院運動生理学修了、教育学修士、米国プロダンサー協会会員、加州コレオグラファー協会会員、米国アクターズ同盟会員、ISDCファウンダー 、国際パルスリズムトレーナー協会会長、マタニティインターロック協会理事、TONY TEEプロジェクトジャパン取締役、TONY TEE DANCE PROJECTS INC. PRESIDENT、TONY TEE ダンス&ミュージック総代表、トニーティーエンターテメントアカデミー校長
1957年、広島県出身。
70年代、ソウル・ディスコブームよりダンスを始める。81年、日本で初のブレイクダンスチーム「ファンキージャム」のリーダーとしてショー出演や後進の指導に当たる。
東京学芸大学大学院修了後、85年渡米。ロサンゼルスプロダンサー養成スタジオ「デュプリーダンスアカデミー」のスカラーシップ(奨学生)となり、バレエ・ジャズ・タップを学ぶ。マイケルジャクソン、マドンナ等の振付師、ビンセントパターソンのアシスタントを経てオリジナルダンススタイルを確立。89年、「フランス革命200年祭」にアメリカ代表として出演・振付。ダイアナロス、マイケル、マドンナ等数多くの映画、TV、ビデオ、ステージ等の振付、出演を重ね、91年、ロサンゼルスに「TONY TEE DANCE STUDIO」を開設。
92年、モダンダンス界の巨匠、トワイラサープの依頼によりカンパニーメンバーにTONY TEEファンクを教授。ダンス界の地位向上と人種を越えた相互理解を目指し「World Peace Through Dance」をテーマに日本全国縦断ダンスワークショップをスタート。延べ5万人の受講者を動員。94年、ハウトゥビデオ「TONY TEE DANCE ON THE BEAT」(日本コロンビア)全4巻をリリース、インターロックが日本全国に普及。95年、ソロダンスパフォーマンスライブ(渋谷公会堂)で2,000人を熱狂させる。96年、東京・大阪・京都にスタジオを開設。国際パルスリズムトレーナー協会発足。ロサンゼルスにて「プロダンサー養成コース」スタート。97年、TONY TEEカンパニーロサンゼルス公演。ISDC(インターナショナル・ストリートダンス・チャンピオンシップ)主催。99年、「黒人リズム感の秘密」出版。TONY TEE DANCE PROJECTS INC. USA設立。99年、2001年とフランス政府招聘によりカンパニー公演。2000年、世界のダンスの中心とすべくトニーティーエンターテイメントアカデミーを開校。2002年アカデミー日本校開校。「教員の為のダンスマニュアル」DVD・ビデオ及びテキストを出版。2003年、Hospital Interpersonal Service(HIS)にてマタニティーインターロック発表、マタニティーインターロック協会設立、資格制度開始。2004年トニーティーカンパニーがニューヨークブロードウェイの「ヒップホップ・レジェンド」1ヶ月間の出演、ブロードウェイで初めて日本人ダンサーをキャスティングさせる門を開く。全米規模のダンスコンペティションで数多くの優勝者を輩出。2005年ダンスDVD「ヒップホップエイジキッズ編・ティーン編」リリース、エッセイ集「ダンスの魂」(文芸社)出版。
広島大学教育学部卒、東京学芸大学大学院運動生理学修了、教育学修士、米国プロダンサー協会会員、加州コレオグラファー協会会員、米国アクターズ同盟会員、ISDCファウンダー 、国際パルスリズムトレーナー協会会長、マタニティインターロック協会理事、TONY TEEプロジェクトジャパン取締役、TONY TEE DANCE PROJECTS INC. PRESIDENT、TONY TEE ダンス&ミュージック総代表、トニーティーエンターテメントアカデミー校長