私がダンスを始めた今から30年前は、世界的に見てもストリートダンスの創生期にあたる。1970年に起こったファンク・ミュージックの台頭はダンスシーンにも多大な影響を及ぼして、たくさんのダンススタイルを生み出し、現在のヒップホップブームに至っている。そんな大昔だから、アメリカですら当然ファンクを教えるスタジオなんて存在しなかったし、職業としようなんて考える者すらいなかった。当時、まだ生まれて間もないダンスだから技術的にも未熟だったし、また、やってる者の意識も趣味の域を出なかったように思う。
 一方、ジャズダンスはバレエを土台に、芸術として、またエンターテイメントとしての素地が出来上がっていて、いわゆるプロダンスとして商業的な匂いを漂わせていた。だから、わずか1ヶ月足らずのニューヨーク留学なんていうのが、その当時ダンスを職とする先生達にとって大きな肩書きとなった時代なのである。

 今は留学も身近になり、1ヶ月のダンス留学で箔がつく時代ではなくなった。それは1年留学しようが2年留学しようが基本的に変わりない。アメリカでレッスンを受けることは容易であり、アメリカに浸ることも、それなりに有意義である。しかし、上手くなるためには絶対的な身体改造と弱点の克服が必要であり、そこまで面倒を見るにはインストラクター側に相当の力量とキャリア、そして責任感が必要となる。一般クラスのインストラクターは、そこまで突っ込んで面倒を見る義理もなければ必要もない。「おお、グレイト!」って言ってれば生徒が満足することを経験的に知っており、わざわざ頼まれもしないのに人の欠点を突いたり暴いたりはしないのである。突いたところで長期的展望で指導にあたれるわけでもなかろうし。
 私とて同じで、一般ワークショップで「これが直ればな」とわかっていても、アカデミー生のようにいつも一緒にいるわけではないから、たいていアドバイスは控える。きついアドバイスは人の心を傷つけかねない。責任を持てなければ言うべきではないのである。
 欠点克服は指導者と生徒がともに汗を流し、時に泣き、時に喜び、時間をかけて解決していかなければならない難しい問題である。しかし、だからこそ上手くなる。本当の自分を知り、自分を見つめ直せた時に、爆発的にダンスが上手くなろうし、欠点も真っ向から克服できる地力と開き直りのパワーも身につく。アメリカに長くいたからとか、留学していたからといって、解決できる次元の問題ではないのである。

 つまり、要はどこそこにどの期間行ったとか、習ったとかという「側」の問題ではなく、そこで何を学び、自分がどのように成長し、それを他人がどれだけ認識してくれるようになったか、という、言わば「中身」が重要なファクターとなっている時代なのだ。東京校の価値と魅力はここにある。
 日本のダンスシーンとアメリカのそれとは根本的に異質なものだ。全米コンペティション優勝やなんとか世界大会チャンピオンなどという箔は日本では通用するが、アメリカでは全く通用しない。それがどうしたという程度である。私はマイケルジャクソンと同じ舞台に立ったが、次の仕事はまた一からオーディションである。それがアメリカのエンターテイメントの性なのだ。これは、アメリカが新しいものを常に生み出すエンターテイメントの生産地であり、日本はエンターテイメントの供給地という立場の差であると言っていい。だから日本のダンスはレベルが低いと言っているのではなく、日本とアメリカでは求められるものが根本的に違うということである。
 アカデミーロサンゼルス本校の生徒達もほとんどは日本に帰って活動の場を探す。従って東京という日本の中心にいながら、芸能の世界や日本のダンスシーンにビビッドに反応・適応する能力を身につけつつ、同時にアメリカの舞台を踏み、本場でのキャリアを積んでいき、日本でそれを武器にする、という方法論が日本を活動の拠点にするダンサーにとって最も効果的なやり方だと思うのである。

 トニーティーアカデミーの最大の特徴は、日本にいながらも常にアメリカ=本場との連携を保ちつつダンスを学ぶことが出来る環境にある。これはどこもマネできない魅力である。なぜなら、私自身がアメリカに根付いているから。それは、先述したように、単にアメリカでレッスンを受けるという、いわば形や体裁としての観光留学ではなく、日本にいながらも本場のダンスに食い込み、本質を学ぶことができるという点で、非常に特異な学校であると自負している。それすなわち、トニーティーの生き様であり、だからこそ、私は惜しげもなく若く将来性のあるアカデミー生達の欠点を暴き、本物のダンスを教授し続けることが出来ているのである。


TONYTEE